· 

手話通訳の仕事 その3

 NHKで2週連続で放映されたドラマ「デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士」をご覧になられたでしょうか。私は2回ともリアルタイムで見ました。1回目は立ち尽くして、2回目はテレビの前で三角座りして、画面を凝視していました。X(旧ツイッター)で感想など述べてみたのですが、草彅剛ファンの方々がたくさんリポストやいいネをしてくださっています。ありがとうございます♡ このドラマがきっかけとなって、ろう者やろう俳優、手話、CODAなどに対する一般の方の関心が高まったのは間違いないと思います。NHKと草彅さんの持つ影響力の大きさにもびっくりしています。なんですが、イチ手話通訳士としては、「手話通訳士」の存在や、手話通訳の難しさがどこまで知られただろうかということが、気になる次第です。

 

 さて、そんなことを思いながらドラマの内容を思い返していたら、自然と、手話通訳の仕事にも思いを馳せていました。

 手話通訳は、日本語と手話という2言語間のやり取りを仲介する言語通訳なわけですが、厳密にいうと、大きく分けて2パターンの通訳があると私は考えています。一つは、純粋に、手話という言語と日本語という言語の間を置き換える通訳。これはAという単語をBという単語に単純に置き換える、という意味ではなく、もちろん文化的背景などを考慮した翻訳作業が必要ですが、いわゆる、「メッセージの等価性」だけを考えればいい通訳。もう一つは、言語間の橋渡しをしながら、福祉的な支援あるいは、権利擁護的な動きも必要となる通訳。今回のドラマでで例を挙げれば、前者は門奈家族に対する通訳、後者は、手話も日本語も得意でない菅原さんに対する通訳ということになるでしょうか。外国語の通訳でいうと、前者が会議通訳、後者がコミュニティ通訳ということになるようです。私の場合なら、登山ガイドでしている通訳や学術の通訳は前者にあたります。

 

 日本に住んでいる外国人に関しては、日本人に比べて不利な立場に置かれている、日常生活において日本語という大きなハードルがあることは想像しやすいのですが、ろう者が同じ状況にあるということはなかなか想像できないのではないでしょうか。「単に聞こえないだけ。日本語は理解できるんでしょう」「日本人なんだから、こんなこと暗黙の了解ですよ」そう思われがちではないでしょうか。それだけに、後者の通訳は時として、まったく「理解のない」聞こえるサイドの大きな壁にぶちあたり、いかんとも話が通じない、問題が解決しないどころかこじれかねない事態が発生したりします。

※「理解のない」は悪意のない、無自覚な無理解という意味で、カッコ書きにしました

 

 これがイチ登録通訳者の立場だと、「たかがボランティア」ごときが…ということになったりして、そうなると、もうお手上げです。そうなんです。日本では、「ボランティア」と思われている派遣型登録通訳者がこのような通訳を担っていることも、まま、あるんですよね。あまりに負担が重く、「ボランティア」で担える仕事では決してないと私は思います。ですから、きちんと行政の職員が、福祉的な専門知識・技術を身につけて、専門職として、ろう者の支援や、エンパワメントの側面を担う必要があるのですが、それに対する社会の理解は全くまだまだですね。。

 日本では、「手話通訳」は福祉職なのか、言語の専門家なのか、いつも宙ぶらりんで中途半端な扱いになっている感じですが、私はどちらもあると思っています。福祉職は、しかるべきトレーニングを受けて、しかるべき機関に専門職として設置されるべきです。一方、言語のプロとしては、相応のトレーニングを受け、他の外国語の言語通訳者と同様に、相応の扱いを受けるべきです。

 今回のドラマを通して、手話通訳という職の専門性が少しでも理解されるきっかけになったら、これほど嬉しいことはありません。