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懐に入る

 「等高線」では、手話のできないガイドの方にもご協力いただいて、様々な企画をしています。これには理由があるのですが、そのことは今回の本題ではないので、詳しくは述べません。

 

 それで、昨年から、とあるガイドにご協力を頂いて、クライミング講座を実施しています。

 壁を登るクライマーと、そのクライマーの安全を確保するビレイヤー。聞こえるもの同士なら、お互いの安全のために声でやり取りをしますが、どちらか一方にでもろう者がいる場合、声での合図が難しくなります。

 クライミング講座のときも、登るろう者とビレイヤーを務める聞こえるガイドとのコミュニケーションをどうするか、ということになりました。私はその場にいましたが、クライマーとビレイヤーが直接的にコミュニケーションを取れなければ、本来的には安全と言えません。通訳を介することなく意思疎通できるよう、登る前に、「こういうときは、こういうハンドサインをしよう」とルール決めしました。

 ところが、登りだすとそちらに夢中になるためか、クライマーのろう者が、決めたのとは違うハンドサインをしました。すると今度は、ガイドがそのサインに合わせたサインをしたのです。

 それは感動的な瞬間でした。先ほども言ったように、双方の安全にとっては、互いが直接コミュニケーションを取れることが重要です。また、短時間で確認できることも重要です。万一違うサインをしたら、ろう者は混乱して、危険な行動にでるかもしれません。ガイドはろう者との直接的なコミュニケーションの機会はほとんどない方ですが、瞬時にガイドとして必要なことを判断して行動されたわけで、私は「これぞプロの仕事だ」と感動したのです。

 

 一方、別の機会で。とある手話通訳に行った時に一緒にお仕事をすることになったMC(司会)の方が、東京から来られた方でした。その方が私たちに、「地名の読み方を確認させてほしい」と言ってこられました。なるほど、地名の読み方やイントネーションは、地元の人でないと分かりません。違う発音で話すと違和感があるので、きちんとその地域の正しい発音で話さなければなりません。私たちが実際に声に出して言ってみると、その方は台本の言葉の上に記号のようなものを書かれ、数回声に出して練習をされていました。そして本番。もちろん一発で、何の違和感もないイントネーションで地名を読まれたのでした。

 

 双方に共通することは、「コミュニケーションの相手に合わせて自身の言葉を変えられる」ということです。そのことを瞬時にできるのが、プロなんだと思わされた一幕でした。

 

 実はこれは手話通訳者も日々行っていることです。私たち手話通訳者も、「標準手話」を身に付けていますが、対象となるろう者の手話表現や好みの表し方(口形をはっきりつけてほしい、とか、日本語通りに訳してほしいとか)に合わせて、実際の通訳表現は変えています。一般的に、新しい手話は高齢の方に通じにくいので、新しい手話でなく、意味をつかんだ表現にするとか、そういうことも含まれます。その場でろう者、通訳者だけに通じる手話を即席で作ることもあります。そうすることで、通訳を受ける人が最も良く、深く理解することができるからです。

 

 良い意味で、「相手の懐に入る」コミュニケーションとでも言いましょうか。 職種は違っても、プロとしての心構えや目指すものは同じなんだなと感慨深く思った出来事でした。