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始まりはここから‥2020年を振り返る・手話通訳編

 コロナに振り回された1年が終わろうとしています。

 皆さんそうだと思いますが、新型コロナウイルスというものがこんなに厄介で、マスク生活が日常になるなんて、2020年が始まったときには夢にも思っていなかったことと思います。

 1月に初めて奈良でコロナの感染者が確認されたときには、まだ全くの他人事でした。3月頃から感染者が増えはじめ、4月に緊急事態宣言が出されたときは、「登山ガイドの仕事は減りそうだな。時間持てあましそうだな、どうしようかな」と、まだまだぼんやりと思っていました。

 

 そんな私に、「知事のメッセージに手話通訳をつけるので、通訳をお願いできないか」と大阪の派遣コーディネーターから打診がきました(私は大阪府の登録手話通訳者としても活動しています)。

 そこから大阪府知事の定例記者会見に手話通訳がつくことが決まり、また奈良県でも知事会見に手話通訳がつくとなって、私の日常はバタバタとし始めました。

 まだ「緊急事態宣言」も「不要不急」も手話でどう表現すれば一番正しく伝わるのか手探り状態でした。そもそも、誰もコロナに対する正しい知識を持ち合わせていない時期でしたから、なおさらです。

 そんな私たちの奮闘ぶりを見て、奈良テレビさんが、知事会見の様子を主に、手話通訳の特集を組んでくださいました。テレビという媒体の影響力は大きいですから、毎回会見で同席するメディアの方に関心を持ってもらえたことを、本当に嬉しく思いました。

 

 緊急事態宣言が明けてから、これまでの日常が非日常になっていき、それは手話通訳についても同様でした。

 通訳に行くときには、フェイスシールドもしくは透明のマスクを必ず持参することが当たり前になりました。派遣元からいくつものフェイスシールド・マウスシールドを頂きました。

 オンラインでの手話通訳も始まりました。「ZOOM」というものを使うらしい、という初めての経験から徐々に慣れてくると、より楽に手話を見てもらうための環境整備、通訳者同士のスムーズな連携のための方法など、模索が始まりました。ごちゃついている我が家の様子を見せるわけにはいかないと、背景スクリーン用のスタンドも買いましたよ。音声が聞こえないだとか、動きがぎこちないだとか止まってしまうだとか、何かしらのトラブルが毎回発生し、今だ「これ!」といった良策を見いだせていません。毎回毎回が悩ましい通訳現場です。またオンラインの通訳は、やはり余分なフィルターを介しているせいか、対面通訳よりもずっと疲れます。2時間ほどの通訳を終えると、もうぐったりして、その日は何も手につかないという状態になることもしばしば。

 オンラインと似て、収録型の通訳も増えました。この場合、対象となるろう者の反応が全く分からないし、「伝えている」実感が持てないため、精神的な負荷が大きくなります。このスタイルがまだまだ続くと思うと、正直憂鬱な気持ちになってしまいますが、「新しい通訳様式」として受け止めるしかないのかなぁと今は諦めの境地です。

 とはいえ、全国各地の首長会見に手話通訳がつくようになったことも、オンラインであれ収録型であれ、何らかの方法で手話通訳による情報保障がなされることも、前進していることには変わりなく、大変喜ばしく感じています。そして、様々な方面でその一端を担わせてもらえたことは、一手話通訳士として誇らしくもあります。それと同時に、ただ情報を伝えるだけでなく、その先にある、ろう者の「自己選択・自己決定」あるいは権利行使を保障するという手話通訳士の使命について日々頭を悩ませ、苦悶・葛藤しています。

 

 思いのほか慌ただしい毎日にあれこれと悩み考え通訳をしていると、あっという間に1年が過ぎていきました。

 そんな2020年でしたが、広い視野でこの1年を振り返れば、手話通訳士として成長するチャンスを頂けた年であり、悪いばかりの一年ではなかったなぁと感じています。 

 

※写真は大阪府公式YouTube動画よりキャプチャーし、転載しました