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手話通訳の仕事

手話通訳はどんな仕事でしょうか?と尋ねられたら、「手話と音声言語の間の言語変換をする仕事」と思われるのが一般的でしょう。

 

私は、それだけではないと思っています。

 

例えば、日本語の能力が高く、一般企業でバリバリ働いているろう者。職場やご近所さんなど普段の人間関係のなかでは、手話ができない聞こえる人とも筆談を交えるなどして、自らコミュニケーションを取っていくことができます。そんなろう者でも、全く初対面の人とのコミュニケーションとなると話が違います。特に聞こえる人が大勢いるなかで初対面の人に話しかける必要があるとき、これは相当のプレッシャー・緊張があり、勇気がいります。なぜか。

 

聞こえる私たちは、お互いの顔を見ずに話をすることができます。

聞こえないろう者からすると、この状況は判断できません。日本人は話しているときの口の動きや体の動きが小さいですから、特に判別が難しいと思われます。今誰とも話してないな、ちょっと声掛けてみようと勇気を振り絞って、肩をトントン、あるいは何か合図をして、ろう者が相手の注意を引いたとしましょう。話しかけられたほうは、「人が話しているときに割り入ってくるってどういうこと?」と怪訝に思うかもしれません。とても深刻な話をしている最中であれば、「なんて無神経なやつだ」と怒るかもしれません。ニコニコした表情を向けてくれる人は少ないでしょう。その表情を見てしまったろう者はどんな気持ちになるでしょうか。そんな経験が積み重なっていったら、どうなるでしょうか。

 

ろう者は、聞こえる人に話しかけてよいタイミングを計ることが非常に困難です。これは、本人の性格がシャイだからとか、社交的でないからとか、社会人のマナーを身に着けていないから、ではなく、そもそも、聞こえないからできないのです。物理的に難しいのです。

 

ですから私は、ろう者の背中をひと押しするような働きかけをすることがあります。

例えば何かの講習会で。講師から、明日のスケジュールや今日やるべき課題など一通り説明があったとします。ところが、説明が終わってからも、ろう者の表情は不安そう。そして通訳者に聞いてきます。「明日は朝9時にここ集合ですよね。準備物に○○って書いてあるけど、説明では、先生が持ってきてくれると言ってましたよね・・・」。こういうときに手話通訳者が代わりに説明してはいけません。「もう一度先生に確認してみますか?」と意思を確認し、「確認したい」と言った場合は、改めて講師のもとに、ろう者と一緒に行きます。もし講師が例えば後片付けでバタバタしているとき、ろう者はなかなか声掛けができません。そういうときは、私のほうから、「先生、すみません、ちょっとよろしいでしょうか」と声を掛けます。講師がこちらを見たタイミングでろう者に話をするよう促します。

 

例えば登山用品店に「等高線」のお客さまと一緒に買い物に行ったとき。

手の空いている店員さんを見つけて、「すみません、相談したいことがあるんですが」と声をかけます。手話通訳を通して話を聞く経験のない方が世の中ほとんどですから、このままだと店員さんは私が話をしているのだと間違えてしまいます。そこで「こちらの方が新しいザックを買いたいとおっしゃってるんですけど」と手話を交えて説明します。そうすれば、店員さんはお客さんは私ではないと分かりますし、ろう者はこの流れで話を進めていくことができます。

 

例えば、ちょっと状況は違いますが、職場の飲み会なんかもそうです。

聞こえる人が圧倒的多数の飲み会では、聞こえる人のペースで話が進んでいきます。通訳が(あるいは手話のできる職場の仲間が)いれば、ろう者はその内容を通訳を通して理解できます。思うことがあって自分も何か言いたいと思っても、そのタイミングを見出せません。結局ろう者は「うんうん」と頷きながら、ひたすら食べ続けるだけ、飲み続けるだけになってしまいます。こういうときは敢えて通訳者が話に入っていきます。まずは通訳者がその話に乗って自分の話をし、そしてその続きで、例えば「そういえば、○○さん(ろう者)もこの前大変でしたよね」なんて、ろう者に水を向けます。そうすれば、聞いている人たちはろう者に意識が向き話し出すのを待ってくれますし、ろう者も思っていることを話しだすことができます。

 

手話通訳者はろう者のちょっとした表情をキャッチすることができます。また、ろう者の置かれている状況も理解しています。さらに、聞こえる人の世界や文化と、ろう者の世界や文化の双方を理解しています。その双方の世界のちょっとしたずれに気づき、つなぎ合わせることができるのは通訳者しかいません。ちょっとした働きかけで両者の関係が良好につながれば、ろう者は、本来持っている自分の能力を発揮することができます。福祉的な専門用語でいえば、ろう者の「エンパワメント」ということです。私はこの、「持てる能力を発揮できる」ことが何より大切だと考えています。

 

このような仲介の仕方をすれば、ろう者は聞こえる人とはこういう風にコミュニケーションすれば良いのだということを体験的に理解でき、自ら実践していけるかもしれません。聞こえる人との人間関係で自信が持てることは、ろう者が、聞こえる人が圧倒的に多いこの社会で生きていくために非常に重要なことと考えます。

 

間違ってほしくないのは、これまでに述べたことは、通訳者がろう者の「代弁」をするということではありません。語るのはろう者本人ですし、問題解決をするのも本人です。私は、いうなれば、焚火を起こすときの「着火剤」のようなものです。あ。この例えは逆に分からないでしょうか・・(笑) 

では、海外旅行のときに持っていく電化製品の、変換プラグのようなもの、と言えばお分かりいただけるでしょうか・・(余計に分からない??)

またもちろん、ろう者が皆そうだ、というわけではありません。誰彼となく話しかけていける人もいます。「そんな後押しはしないで欲しい、余計なお世話だ」、と思う人もいるでしょう。その点は慎重に見極めなければなりません。通訳者が先読みしすぎて返って「自己選択・自己決定」を妨げることをしてはなりません。

 

 

私が常々思うことはただ一つ。

ろう者が、聞こえないが故に余計な気を遣ったりストレスを感じることなく、普通にありのままに生きていける社会になってほしいということです。

 

※写真は、株式会社ヤマテンhttps://www.yamaten.net/の気象講座に手話通訳を付けたときの模様で、本文とは直接的には関係はありません